配慮はすれど遠慮はしない
先日、部下から「すみません、、やりあっちゃいました。」と、そんな声をかけられました。聞けば、計画を詰めていく過程で、チームメイトに遠慮なく多くを求め、結果として、お互いがヒートアップしたということでした。
僕はそれを聞き、「いいね~!」と返しました。なぜなら、何かの取り組みに対し、メンバー間での遠慮があると「結果が遠ざかる」からです。
そもそも人間関係において、物事全てがスムーズに進むことはないと思います。大なり小なり、期待と違う結果や回答が返ってきます。
それを無理やりスムーズにしていくと、ほとんどのことは当たりさわりのないやり取りになります。難しいことに取り組んでいくには、そのコミュニケーションだとちょっと無理があると思います。
仕事を上手に進める上で、相手に配慮をしてスマートにこなすということは、心がけとしては大事だと思います。ですが、突っ込みどころで突っ込まないなんていけません。そんな関係は良い結果を生まないから。
もっと、汗かき、べそかき、喜んだり、怒ったりすることって大事だと思うのです。
なので、僕は彼の行為には賛成でした。
失うものはなんなのか?
遠慮せずやり取りすることによって、失われるものはなんなのでしょうか?
- 相手の体面?
- 相手のやる気?
- 自身の信頼?
- 人間関係?
いえいえ。相手への尊重があれば、これらは気にする必要はありません(多分)。ただ、ここに書いていないもので確実に失われるものがあります。
それは「結果」です。
当たりさわりのないやり取りは、それ自体空気のようなもので、言葉は全く届いていない可能性が高い。そんなやり取りに果たして意味はあるのでしょうか。
もっと言えば、同じ目標を持って進んでいる仲間に対して、そんな態度は思いやりにかけた行為とすら思います。
分離して考えよう
なので、「人」と「仕事」は分離して考えましょう。これは仕事を上手に進めるための重要なコツです。
誰かのアイデアに意見を言うことは、その人の人格を否定することでは無いのです。意見や考えを互いに戦わせることは、結果的にアイデアをより良いものにしていく効果があります。
チームで仕事をする以上は、この点を必ず理解すべきです。
何のために自分たちは集まっているのか?そもそもの意味に立ち返り、目的達成のためにどうすべきかを議論する。一人一人の仕事の集積が事業の結果です。チームで仕事をしている以上、チームメンバーの仕事に意見することに遠慮などはいらないはずです。
繰り返しですが、意見の否定は人格の否定ではありません。本当にチームで良い仕事をしたいと思うのなら、言うべきは言い、時にはやりあうくらいが丁度良いと思います。
冒頭の部下の話に戻りますが、彼はそんなスタンスで仕事をしているように見えます。
自分よりも、チームや事業の目標にとって何が大事なのか?そこに純粋に向き合う姿はまさにプロであり、部下といえど純粋に尊敬できる、そんな出来事でした。