なぜ僕は叱ってばかりだったのか
最近「叱らなくなった」と言われます。
周囲からも「変わった」と。。(大丈夫なのか?老いたのか?と心配もされるくらいw)
では、果たして僕は変わったのでしょうか?
そして、なぜ僕は叱ってばかりいたのか?
今回のその思考を分解してみました。
まず、そもそも僕は叱りたかったのか?ですが、結論を言えば、そんなことはありません。
ではなぜか?
- 好きだから
- それしか方法を知らなかった
答えは2。
そう、叱りたいのでは無く、思いを伝える方法をそれしか知らなかったのです。
その時の思考プロセスはこんな感じです。
- 期待がある
- それを察して欲しい
- その期待が満たされない
- 我慢する
- 1~4を繰り返す
- 我慢の限界を迎える(フガー!)
厄介なのは、勝手に我慢していたのだと思っている点ですね。周囲からすると態度が豹変したと見えるし、戦慄が走る!
書いてしまうと、恥ずかしい限りですが、ここでややこしくしているポイントは2ですね。1は立場として持つべきもの、2は個人の思いです。つまり、役割の分離ができていない状態です。
改善すべき点は、当然2なので、最近は努めて期待を言語化しています。早めに、小出しに、場合によってはものすごく具体的に。
僕の本質は何も変わっていない
期待していることは当時よりもどんどん大きくなっていってます。
冒頭の話に戻りますが、おそらく僕(自分の性質)は何も変わっていないと思います。しかし、行動は変わりました。それにより得る感情も変わりました。
そして、周囲は変わったと感じるようになったのです。
行動を変えるだけで結果も、評価も変わる。
無理に自分を変えにいくのでは無く、方法を変えることで様々なものが変わる。
そんなこともあるんですね。