こんにちは ベーシック 秋山です。
ここ最近考えていながら答えが出なかった事に対して、一つ整理がついたので備忘録も兼ねて。
タイトルにある「人は常に楽を求める」と言うのは、行動の原則は常にその一点にあるというシンプルな結論です。(選択出来る状態において)
暴論かと思われそうですが、色々と合点が行き、この法則をベースに話を進めさせて頂きます。
例えば、
・刹那的に行動するということ。
今までは、今が良ければで行動していると思ってましたが、
単にそういう事では無いのではと。なぜかと言えば「今しか見えない」から。
と捉えるべきではないでしょうか。
だとすると想像が付く最も楽な方法をとるのは必然です。
・非効率だと分かっていて、同じ方法手段を講じる。
教える時間が無いから自分でやる。覚えれば早い数式を覚えず、手間を取って集計する。
一見すると非効率なこれらの行為も、結局楽を求めていると思うのです。
そんなバカなと思うかも知れませんが、結構あると思います。
覚える行為と分かりきった行為どっちが「楽」かと言えば後者では無いでしょうか?
傍目から見たら、明らかにその人自身にとって不利益なその行為も本人にとっては「楽している」状態だと考えると、合点が行ってしまうのです。
ではなぜか
これらに共通していることは、未来へのイメージ不足だと思います。
つまり、多少の苦戦や苦労の先に有る楽になるイメージを持ちきれていない。
だからこそ、目先の「楽な方」を選択してしまうと思うのです。
一方で、今の苦労を厭わない人もいます。
その人達に共通しているのはその先の未来の楽な姿なんだと。
そして、未来を描いた人順に刹那から抜け出した行動を取っている気がします。
分かりやすい例で言えば、大学受験はその典型だと思いますが、我々起業家も同様ですね。
とても大変そうな事をしてそうなのに、本人からすると「今は大変だけど、意義があるよ」と言うような出来事って目にした事がありませんか?
これなんか正にだと思うのです。
やはりその人に取って未来に楽が存在している。
さらにもう少し話をさせて頂くと、
僕は筋トレとストレッチを7、8年ほぼ毎日続けています。
実はこれも全て「楽を求める」で説明がつきます。
つまり、少しなら楽だから毎日やっているのです。
TVを見ながら数分やるだけなので、全く大変ではありません。継続は力なりで、結果20代の頃とお腹周り変化無し。
勘違されてストイックと言われる事もあるのですが、ここは明らかに否定したい所です。楽したいんです。沢山筋トレしたくないだから、頑張る。
ちょっと変な話なんですがね。
最後にもう一つ別の視点で。
これ以上飲みに行きたく無いシチュエーションで、先輩に誘われてのみに行く。
ともすると苦労を取りに行ったように見えますが、その先の関係性を考えると楽を取ったと言えませんか?
ということで、まとめますと。
「人は常に楽を求める」と定義するなら、如何にイメージを持つ事、与える事が重要なのかが分かってきます。
だとするなら、我々リーダーは社員にそれらを示す必要があると思いました。
今回のこのテーマ、苦労と楽を合わせて考えて行く際に矛盾を感じていました。
なにがと言えば、人はどのタイミングで苦労、楽を選ぶのかの整理が付かなかったからです。(選択しているはずなのに)
もっと言えば、そもそも人は「苦労や苦悩しかない選択をする事があるのか?」の問いに解が見いだせ無かった。
先述したような手前の苦労、先の楽のような事はもちろんイメージしましたが、その段階では、まだ混在していました。
苦労、楽どちらを優先すべきか。。。
結論はシンプルに「常に楽を求める」と落とし込んだら、僕自身の納得感が生まれたのでした。
あくまで僕の私見ですので、そんな考えも有るかもな程度に捉えて頂ければ幸いです。
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