あまりに唐突ですが、単にがんばる事自体を否定する意味ではありません。
望まない結果の捉え方について考えたいのです。
社内でがんばり過ぎているメンバーによくこんな話をしています。
それは「我々のがんばりと成果は単純に結びつかない」ということ。
僕らの仕事は努力を押し付ける事では無く、問題解決と言う価値をユーザーに届ける事です。
そもそもユーザーは
「がんばっているから」買ってやろう。
「がんばっているから」このサイトを使ってやろう。
とは思わないはずです。
しかも面識が無ければ尚更ですよね。
ここまでやったから、ここまでがんばって来たから。必ず結果がついてくる。
そして、がんばりそれ自体を「尊いもの」とし、頑になってしまう。
以前にも書きましたが、企画を進めているとどうしても独善的になりがちです。
がんばる程期待と言うフリーフォールの高さは増して行くものですから。
落ちた時のインパクトは絶大です!
そして望まない結果の捉え方として大きく2つの傾向に別れます。
・取り組みを見返して、行動を変える。
・これまでの取り組みは正しいと信じて、行動を変えない。
このときに注目したいのが
掛けたがんばりを「尊いもの」にしてしまう思考です。
これにはあえて違うと言いたい。
なぜなら、求める結果は適切な方向に努力が重なって初めて生まれるからです。
プロ野球選手になるためにサッカーの練習はしないでしょうし、アメリカへ行くのにフランス語は勉強しない。
そんな話と同じだと思います。
つまり、方向の誤ったがんばりということです。
それでは行動を変える機会を逃してしまうどころか、目的達成は遠のきます。
本人にとってとても残念な結果では無いでしょうか?
ですから、望まない結果の捉え方が大事だと思うのです。
大事なことは目的の達成なわけですから、がんばりを「尊いもの」と捉えず
その経験を次に活かせれば達成に近づくはずです。
まとめ
・がんばり自体は「尊い」わけではない。
・一方目的達成の為には不可欠。
・それは適切な方向を向いたときに限り。
・望まない結果を受け止め、行動を変えてみる。