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力まず、恐れず、スピーディーに ベーシック社長ブログ

一番町にある株式会社ベーシックの社長ブログです。

理想を持たないリーダーから非凡な結果は生まれない。

自分のチームは凡庸な結果となっている。

もし、あなたがリーダーでこのような感覚を持っているとしたら、おそらくあなたはチームの理想を持っていないのではないだろうか?

今回はその理由を説明していきたい。

この話は「現実」を重力と例えるとわかりやすい。
「現実」は常に重たいもので、いつでも目の前に横たわっている。一方理想はその重力に逆らって月に向かうロケットのようなものであり、飛び立つには相当のエネルギーを必要とする。
向かうべき目標を定め、仲間を集めて、飛び立つ準備をする。

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理想に向かうエネルギー=本人の熱量とすると、そのエネルギーを持てている人はおそらく周囲を巻き込み、何としてもその達成に向けて問題解決しながら動いているはずだ。
どの組織においても、結果を出せている人は大なり小なりエネルギー量が多い。

一方、理想が描けていない人は、現実を突きつける今の出来事や、メンバーの意見に左右されてしまっているはずだ。
多くの意見を取り入れるが故に、エッジが立たず、プランも平凡なものが多い。

メンバーの意見や、顧客の意見は大切だ。
しかし、時には進むべき道を誤らせることもある。
その時に必要なのはチームが進むべき理想の姿だ。
その判断をすることはチームの理想を叶えることに繋がるのか、先々本当に顧客のためになるのだろうか?
このような思考は理想なくしてはありえない。
そして理想を持ったときに初めてこだわりが生まれ、現実の出来事と戦える。

ちなみに理想を描く上で、有効なものは”簡単にはできないこと”であること。
誰でもできそうなことは理想とは呼べない。
簡単にできないことであるから、ワクワクもできるし、実現したときのインパクトは大きなものになる。
後述するが、思考力を高める上でも効果は高い。

チームに理想がないことで起こる事。

あなたのチームでこんな事は起こっていないだろうか?

  • 顧客の意見を優先して、チームとしてのルールが無視された。
  • メンバーの現実的な意見を尊重したら、目標達成が遠のいた。
  • 現実的な計画を立てたら、誰もワクワクしない計画になった。

チームに目指すべき理想がない場合、発生するのは近視眼的かつ現実的な積み上げの仕事でしかない。
それは、ゴールにたどり着くか着かないかわからない仕事だ。
チームメンバーはベストを尽くしたつもりでも、なぜか達成できない、形になっていない、もしくは凡庸な結果しか生まれない。

”どのようにしたら”と考える。

理想が持つ力は、我々の想像をはるかに超えている。
人は理想を持ったとき、”どのようにしたら達成できるか?”と考え始める。
つまり自然にその対象を叶えようとし始める。
一方では今を前提として”せいぜいこれくらい”と考えると当然そのあたりに結果は収斂する。

なのでリーダーが理想を持っていないチームが、なんのサプライズも無い凡庸とした結果になるのは当然なのだ。
前者も後者もある意味望んだ世界を求めてはいるが、前者は理想実現のため、後者は現実的な結果のためだ。どの視点で自分の思考力を行使するのか。そこにも理想が影響している。
やはりコツは理想を持つことだ。

理想は一人で持つ

理想の姿をメンバーと一緒に考えようなんてことはしない方がいい。
なぜかといえば、その理想はだれのものでもなくなり、結果絵に描いた餅、形骸化が進むお飾りになるからだ。
誰になんと言われようとも、貫きたい理想を描き、伝えることがリーダーの仕事であり、メンバーがすべきはその理想に乗るか乗らないか(共感するかしないか)を決めるだけだ。

共感や賛同の無い理想では、非凡な結果は生まれない。
馬鹿げていたとしても、聞いてワクワクするようなことや、思わず笑みがこぼれるような仕事は参加者全員が楽しめることだ。
その結果がどのようなものであっても、そのプロセスに得るものは多い。

繰り返しだが、自分のチームの結果が凡庸だと感じているのなら、
まずすることは、あなたがチームの理想を持つことだと僕は強く主張したい。

今までのやり方に固執する人たち。

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こんにちは、ベーシック秋山です。

昨年末から考えてきたテーマとして
”このブログは”誰にとって良いものなのか”というものがあります。

発端は、あるメンバーから”秋山さんもしかして、遠慮があるのではないですか?”と指摘され、確かにと思ったこと。

そして、書きたいことはなんなのかなあと考えた結果は以下のこと。

”自分が信じている良いと思えることを遠慮なく伝える”

この視点を通じて、ベーシックの代表がどんな人で、どういう思いでマネージメントをしているのかを知ってもらえたら良いと結論づけました。

ということで、ベーシックの理解を深めてもらうためにも今年も書き続けたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。


僕の知り合いに新しいことや取り組みを避けたがる人がいる。

決して不真面目なわけではなく、一生懸命仕事に取り組んでいる。
行動に変化が見られず、結果も著しいものが見られない。
しかし、本人にはその自覚がないように感じる。

浮かんだ興味やアイデアを話してくれるが、それを行動に移すことをしない。

先日も彼にアドバイスし本人が「なるほど。」と唸り、ついでに本の紹介して「読みます!」と言って帰って行った。

しかし、僕はこれまでの経緯含めて新たな行動に移すのか気になっていた。
これまで同じようなやり取りがあっても変わらないからだ。

後日その件がどうなったのかを聞いてみると。

考えた結果、今までのやり方で進めてみようと思いますと返事が帰ってきた。
その方が確実だし、今はそこまで余裕がないということだった。

発想の源はインプットの総量

ここで考えたいのは、なぜ彼は新たな方法に取り組まないのか。

本人は余裕が無いというが、それよりも、新しいことより知っていることの方が物事が進むイメージが鮮明だから、その選択をしたのではと思う。

明らかに自分にとって不利益な状態にも関わらず、新たな情報を取り込んだり、試したり、試行錯誤しないのは何故なのか。

思うにこんなことだろうか、

1.自分が生み出した興味の重要性を理解していない。

理解とかのレベルの前に、自分がもたらした興味は自分の課題を解決するサインであり、
そのサインは蓄積の結果に生まれた大事な視点だと理解できていない。
思いつたアイデアも、言わない。言ったとしてもすぐに取り下げてしまう。周囲を気にしすぎているのか、自分の思考を自ら軽んじている。

2.今までのやり方が最も効率的だと思っている。

新たな取り組みは最初は負荷を生み、一方従来のやり方は負荷を生まないと思っている。”教えているくらいなら自分でやったほうが早い”と考えがちで、結果的にタスク過多になっている。

3.自分の工数(価値)を安く見ている。

2にも通じるが、とにかく自分でやったほうが早いと考えがちで、自分の労働力を過小評価している。貴重なものと捉えて、工夫することを怠っている。

4.最短の解を求めている。

取り組むことに対して、即効性を求めている。できれば、すぐに知りたい、終わらせたい。
少し時間が掛かりそうならそれを後回しにする。興味と行為を天秤にかけて判断している。

5.頑張れば好転すると思っている。

こちらも2に通じるが、今までのやり方を続ければ事態が好転すると思っている。
頑張りは行為であって手段との違いを理解できていない。同じ方法を通り一辺倒でやっても、打開は難しい局面にもかかわらず、あいからわず頑張りで通そうとする。

6.新たなインプットによって何かを解決した経験が少ない

常に今ある手段、過去の経験に基づいて解決しようとする。楽な選択肢を取ってしまう。無意識にこれまでのやり方に固執している。新たな方法や、考え方が解決に導くというそもそものイメージがないから、そこに着想しない。

まとめると、自分の価値と新しいことが生み出す価値を理解していないと思う。
例えば、興味→手段発見→行為の関係を正しく理解しておらず、面倒、手間というレベルで行動を抑制しているため経験量も乏しく、いざというときに思考がシュリンクしてしまっている。
これでは、負のスパイラルに陥るのは仕方ないと思う。
その元凶が従来のやり方を続けていることだということに、気づきべきだ。

彼がすべきことは新しいことがもたらす恩恵を知ること。

まず一つは思いつきでも、興味や発想を大事にすべきということ。ふと思いついたことだとしても、掘り下げる癖をもつことで、わからないことがわかり、知りたいことが生まれてくる。

もう一つは、面倒くさがらず思い切って取り組むこと。
些細なことでも行動に移すだけで、新しい理解は生まれる。それを”うまくいった、行かない”という結果のレベルで見るでのではなく、そこに含む要素を自分が扱えるレベルで認識する。

影響したのは、人なのか、物なのか、言葉なのか、タイミングなのかのように。

そもそもわからなかったり、イメージできなかったりするのは、圧倒的にインプット量が不足している時。よく、フィジカルに比べ、メンタルや思考は無限の可能性があるように勘違いしている人を見かけるが決してそんなことはなく、アウトプットはインプットの総量で決まってくる。可能性とはそのなかの掛け算が機能しているだけでしかない。0に幾つ掛け算しようと0は0のまま。

ユニクロの柳井さんが著書でこう述べています。

「優れた勘」や「いいアイデア」、「斬新な考え方」こういったことができる人は、天才なのか。天才でない限り無理なのかということです。
私はそうでないと思います。
=一部省略=
その前のプロセスに重要性があるのです。
つまり、そこに行き着くまでの間に、どれだけ色々なことを考えて、色々な人と話をして、そしていろいろやってみて、そこで真剣に自問自答するのか。これが大事なのです。

これは何一つ特別なことは言っておらず、至極まっとうなこと。

思考し、新しい情報を手に入れ、試して、また思考する。

心が感じた興味を意識の外に追いやるのではなく、もっと目を向けてみるべきだ。
例えば、気になった領域の本を一冊買ってみるとか、人から聞いたアドバイスは必ず行動に移してみるとか。

そんな些細な行動を続けるだけでも、蓄積の先に見える世界は変わってくる。

無理し過ぎでは?自分を変えずに目標を達成する おすすめ思考法9選

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2016年もあと1日、街もすっかり年末モードですね。

皆さんはどのようにお過ごしでしょうか。

僕は先日大掃除に気合を入れすぎて、掃除して心は晴れましたが、体は気持ち悪くなるという複雑な状況に陥りましたw何事もやり過ぎは体に悪いですね。

今回は多くの人が今年を振り返り反省もあるなかで、来年は自らを変える方向で考え、来年の抱負に組み込む人も多いのでは?と、勝手に推測し、あえて”変わる必要が無い”をテーマにして、今年のブログを締めくくりたいと思います。

 

自分の過去の経験などの話なので、全ての人に当てはまるかはわかりませんが、何度も設定してうまく行かなかった人に向けた思考法のエントリーです。

 

ここで言いたいことは”極力自分を変えずとも目標は達成できる”です。

もっと楽して捉えていきましょう!

きっちりしたバージョンは人事新田が書いているので、よろしければ御覧ください。

hrblog.basicinc.jp

 

①目標は正しさと楽しさ半々で設定する。

まず、”やらなきゃ”より、”やりたい”設定にしてみるはどうでしょうか?

おおよその目標は自分が今なっていない状態になるために設定されていことが多いと思いますが、そもそもそれって”正しいかどうか”で決めていませんか?

正しいゆえに、できなかったときの反動はより大きく、凹む。でもそもそもその設定は無理がありすぎます。出来ないからやるのに、辛いことだけ積み上げて出来るのか?

僕の提案は正しさだけではなく、楽しさも加えて、それらは半々にしてみるのはどうでしょうかということ。

例えば、食べても痩せれることをするとか。遊んでも勉強するとか。いきなり全てに取り掛かる前に、”やりたい”という「楽しさ」も加えると長続きできます。

 

②根本的にどうにもならないものは認め、ルールを課す。

僕はとてつもなく面倒くさがりなのですが、過去にこの”面倒くさがり”を直してやろうと決意したことがありました。しかも何年も。でもこれが一向に直らない。下手したら面倒と思う自分を自己否定までしてました。で、思ったのが、そもそも面倒くさいって感情自体コントロールできないのでは?

だとしたら無理だなと諦めました。

で、取り組んだことがありまして、それはルールを課すというもの。

「面倒!と思ったらやる」というルールを適応した。ここはあえて機械的に発動するようにしました。

いやいやながらでもやれば、物事に変化は起きてきます。

まずはそんな感じでよく、ここで自己肯定感を生み出し、少し出来るようになると”やりたい”と言う気持ちも生まれやすくなります。

 

③ステレオタイプな、高い目標は設定しない。

なんか現実逃避しているように見えてきますが、そうではなく、目標設定において”単に目線が高ければ良い”ということではありません。

夢や、目的は大きくても良いのですが、もしかして、大きい方が良いというステレオタイプの考えに支配されているかもと疑っても良いかもしれません。

多くの情報が目に入る今の時代、大きな、素晴らしい点にだけフォーカスしすぎて高い目標を設定しがちではないか?

自分の思考を疑って見るのも手です。

 

④変わってないけど、変わった素振りをする。

以前こんな記事を書きました。

forward.basicinc.jp

ここで述べていることは、”僕の根本は変わっていない”が、周囲から変わったといわれることに対しての考察です。

面白いのは根本は変わっていなくとも行動を変えると周囲は変わったと感じることです。

自分の心持ちは他の人にはわかりません。根本を無理して変えに行く前に、行動だけ変えるのも一つの楽な方法です。例えば、話しかけ方や、服装など。ちょっとしたもので良いと思うのです。

 

⑤理想の自分のための目標を設定しない。

理想が高いことは素晴らしいことです。僕は自分でも嫌になるくらいプライドが高いなと思っていまして、それ故に、過去設定していたことは地に足がついていないものばかりでした。つまり、理想の自分にふさわしい目標です。

その設定をしないと気持ちが悪いというか、カッコわるいというか。目標を高く設定しないと気が済まないから、当然うまくいかない。で、思ったのは”目標は誰のためにあるのか”です。

例えば、腕立て出来ない人が、いきなり100回は無理があるので、まず「3日間10回を続ける」と設定するように、一見カッコ良くはないけど超現実的な目標に変えるなど。つまり、目標は今の自分のためにあるのです。

高くてカッコ良くっても続かなければ、意味ないですからね。

プライドや意識の高い人は、やることのハードルを自分で高く設定しすぎなところもありそうなので、すこ~し見直しても良いと思います。

 

⑥年始だからといって1年分の目標とかいらない。

先程の話にもつながるのですが、どうしても1年分やりたくなっちゃうのですが、ここは自分の今を見て、区切ったほうが楽です。

日、週、月、どれでも良いのですが、そもそも無理する必要なんかなくって、出来ることのレベルで良いと思います。

例えばやったことのない習い事だとしたら、”その場に行く”ことを目標にしたらそれで十分。なぜかといえば、次の目標はその時に決めても遅くないからです。

プライベートのことなら一気に1年分は、必要ないんじゃないでしょうか。

 

⑦意志が弱いからこそ、大事な人と約束をする。

偉そうに色々書いていますが、実はこのブログも一人では続いていません。

過去何度も挫折を繰り返し、社員からも書かないことをネタにされる始末でしたw

そんな中で、ぼくがしたことは、大事な人と約束をすることでした。

目標とかって公言するのは恥ずかしいのですが、一人でやるより格段に効果が高いと思います。子供の頃の遊びで次の電柱まで息しないとかやりませんでした?

でも、息したときとかに特別な理由(3回まではOK、車来たから今のナシとか)つけて自分で自分に言い訳したりとか。

あれと同じ感覚でして、人って意志が弱いんだと思うので、いっそそれを認めてしまうととても楽です。

なので、自分として裏切りたくないなーとか思える人に協力してもらうのも一つの自分攻略です。

 

⑧沢山いらない。まずは一つで十分(今まで失敗してきた人向け)

最初はあれこれ出来ないですから、こちらも自分のレベルに合わせて、まずひとつをこなして、自分の自分に対する信頼残高を貯めても良いと思います。

しかし、決めたタイミングでの実行は必須ですよ。

絞る最大の理由は、決めたことを決めたときにやるためです。 

⑨諦めない。

最後に。どんなに時間がかかっても諦めない。

”諦めたらそこで試合終了ですよ。

スラムダンク安西先生の金言この一言に集約されています。

進捗が理想通りじゃなかったとしても、粘り強くやり続けた人が最後は事を成していると思いますから、自分に合った粘り強さを見つけてください。

 

まとめ

人の意志は弱いのが当たり前、でも目標って達成したいものです。

それだったら、根本を変えなくても出来る方法でやっても良いのではないかというのが今回のエントリーです。

なにも達成できない目標では無いに等しいので、もっと自分に素直に無理ない設定も悪くないと思いますよ。自分への信頼残高や、スキルがたまって行けば、自ずと取り組みのレベルも上がっていきます。(やりたくなるので)

せっかく立てた目標が達成されるためにも、少し見方を変えみるのも一つの手です。ということで、今回は以上です。

 

今年も一年ありがとうございました!

なんとか書き切りましたw

他者評価なしの”自分らしさ”なんてありえない

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人生は人気投票

ダイバーシティ(多様性)や、自分らしくあること。それらは本来そうあるべきだし、”その人の存在”や、”アイデンティティ”自体は否定できるものではありません。

しかしこれらのメッセージを鵜呑みにして、損しているなーと思うことがあります。

というのは、”自分らしく”を過大に解釈して、”あるがままで良い”と思ってしまい、結果”自分らしく”から遠のいているように見えるからです。

僕がそう思う背景には、人生は人気投票という考えがあります。社会で仕事をする選択をしている以上は特に、です。

僕は働き手が仕事をする上で提供するものは、スキルに基づいた生産力だと考えています。

「その人が続けてきた、努力や取り組みで手に入れてきたもの」がベースのスキルであり、そこから生み出される生産力(新卒、中途問わず)が社会において評価されます。

例えばまだ未熟な時点(年齢は関係無い)において、自分らしさの追求をすることが、果たしてその人の利益につながると思いますか?※ちなみに僕の自分らしく生きる、の定義は、”自分の思想や信念(時には短期の考え)に則って生活を営むこと”と捉えています。

いま急いで、”自分らしく生きること”は、”未来の自分らしく生きる”に果たしてつながるのか?をもっと考えるべきです。

先ほど「人生は人気投票だ」と書きましたが、世の中の多くは相対評価で成り立っています。

  • 恋愛、結婚
  • 就職、転職、受験
  • コンビニの商品、ネットでの買い物
  • YouTuber、アプリのランキング
  • 株式投資、クラウドソーシング、SNS

みーんな、レーティングされています。

「そんなことない、私は私として認識してもらっているし、私もそうしている!」

もちろん、そういう関係は存在します。例えば、家族や先生、親友、同僚、時には上司など、あなた自身を見てくれる人たちです。しかし、それらの人たちはマイノリティーかつ尊ぶ存在であり、社会のすべてではないのです。ここを勘違いすると危険です。

そもそも、見ず知らずの人に「あなたらしくて良い」なんて、とても無責任な発言に聞こえます。多くを経験した人たちはもっとシビアさを伝えるべきと思います。昨今の”自分らしく”の論調はその点をごまかしているように感じてなりません。

自分らしく生きたいなら、まず魅力的な人になれ。

「魅力的な人になる」とは、具体的に言うと、行きたい世界で競争に勝つこと、その世界で必要な生産力を持つことです。そして僕は先人に学ぶことこそが、その近道だと確信しています。以下エントリでも触れています。


詳しくはこの2つのエントリに譲りますが、スキルをつけるために遠回りする必要はないと思います。

最近参考になる記事がありました。

以下引用します。

自分がやりたい仕事のために独立する人もいますが、そういう人は自分に求められていることが見えていないケースが多い。僕自身、もともと自我も自己主張も強い人間だったのでよくわかるのですが、特に若い人ほど「個性」を勘違いしがちです。僕が「自分を捨て」て気づいたのは、「自分らしさを持っている人ほど、求められた仕事をしている」という真実でした。

ここは僕も同感です。

この社会で”自分らしさ”を求めるなら、結局は他者評価ありきでしかその存在は証明できないわけです。皮肉ですが、この逆説的な視点は持つべきだと思います。自分が自分らしくあるためには、相手が必要になるということです。

例えば、みなさんが発注者だったときに、スキルのある人と、無い人とで、どちらに発注をするでしょうか?

スキルのない人が頑張っているということを聞き、応援の意味で1度発注するくらいのことはあると思います。しかし、それが2度3度と続くことは考えにくいわけです。

取引が続くために必要なのは、スキルの向上が見られた、やりとりがスムーズだった、想定より早かった、など、レーティングの上で良いと判断されることです。

魅力的な人(スキルがある)は、結果的にどの世界でもその存在は認められます。ですが、残念ながらあなたが自分のままで、突然存在が認められることはありません。(容姿端麗、センスがあるとしてもそれも競争の上での判断です。)

人生は人気投票。つまり、競争です。

なので、自分らしくという聞こえの良い情報をそのまま鵜呑みにせずに、社会で生活を営むと決めたなら、まずは自分の生産力(スキル、経験)を上げるべきなのです。

来期の計画を立てるときに気をつけたいこと。

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年末も差し迫って来た今日この頃、来年の事業計画を立てている方も多いのではないでしょうか。
僕らベーシックの面々もまさにガシガシと詰めている段階です。そんな中、今回は計画を立てる上でのコツをお伝えしたいと思います。

今回は計画を任されていて「わかんねー」とか「細かくやっても大差ないよ」と思っている、そんな新人マネージャー向けに書いてみました。※全体の戦略は既に決まっているという前提です。

その1.馬なりでもできるレベルは忘れる。

まず、あなたのチームで当たり前のようにできる部分は早めに計画に盛り込みましょう。

計画を立てる上で大事なのは、どれだけ具体的に施策のイメージを持てるかです。なので、当たり前にできることは、早々に計画に盛り込み、早めに思考から抜き去りましょう。

時間をかけるのは、考えてもなかなか具体策が出てこないものに対して、です。施策の一つ一つの精度が、あなたの計画に現実味を与えてくれるはずです。

図にするとこんな感じ。
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左から目標数字(この図でいうと100)、その次が馬なりでできる部分です。馬なりのトップライン(この図では50のライン)を基準点にして、それより上の部分に集中するようにしましょう。

これらは、実行フェーズでも同じことが言えます。

まず、馬なりのトップラインを0(例:馬なりを100やれば全体達成率50%)にして考える。そうすれば、そのトップライン以降の達成率を見ていくことで取り組みの視座は自然と上がります。

加えて、施策を組む際には120%以上の達成を目指す施策の量が適当です。そもそも計画した施策を実行して全てがうまくいくことはまずありません。ですから、それらを見越して多くの打ち手を用意することが大事です。

その2.それっぽいのダメ、絶対!

次に施策を作る上での留意点です。

大事なことはその施策に対して、どの程度の具体性をもって良しとするか。理想は行動に移せるレベルです。例えば”広告を使って集客する”としたときに、以下のような設定だと問題です。

  • Facebook広告を使い、集客全体のN%を獲得する
  • 新規顧客を営業代行会社を使ってN件にする
  • イベント参加を中心に、新卒をN名採用する

もしこのレベルの施策であるなら、これらは全部ダメです。
どういうことかというと、”それっぽい”から。

方針や方法、目標数自体の問題ではなく、計画に盛り込む施策の粒度としてこのままでは問題だということです。計画上の施策の良し悪しは、”今日が実行日だったとして、実行できるレベル”になっているかどうかです。

  • なんとなくできそうと思ったことは、どのような手順かを具体化しましょう
  • ボヤッとしてるけど、ある。では、その「あるもの」は、何がボヤッとしているのでしょうか?
  • 方針が決まっているのなら、それはいつやるべきでしょうか?
  • 過去できなかったものは、何があればできるようになるでしょうか?

そんなの無理!と思うかも知れませんが、先ほどの馬なりレベルはその域に達しているはずです。

では、馬なりのものと、無理!と思うものとの違いはなんでしょうか?おそらく馬なりは、経験したもので、無理と思うものは、未経験なものではないでしょうか。

だとすると、如何に早く経験をすべきかが大事だと見えてくるはずです。
そして、この点の理解ができると、計画とは何をすることなのかが見えてきます。

その3.わからない、見えない部分を明らかにする。

馬なりでできる部分、考えて具体化できたもの。その見えた割合は全体でどの程度でしょうか?6~7割でしょうか?一方それでも埋まらない”X”が明確になってきたら計画は現実味を帯びてきます。

わかることを明らかにする以上に、わからないものが”存在する”ということを認識することの方が、実ははるかに重要なのです。その不明確な”X”はなにがあればがわかるのか、見えるのか、を考えましょう。

それは、試してみなければわからないことなのか、知っている人がいれば埋まるのか、進まなければ検証できないのか。なにをすれば分かるのか、が明らかになったら、それ自体を計画に入れます。

つまり、”試してみなければわからない施策”であれば、なにをいつ、誰がやるのか、どう試すのか。を計画に入れるということです。それだけで、初動の早さが大きく変わります。

ここで気をつけたいのは、見えない、わからない部分に、”それっぽい施策”を埋めてしまうこと。これだけは絶対にやってはなりません。わからないから”何も入れない”、もしくは”それっぽいもの”を入れるとその時期に初動が遅れ、計画にビハインドを生み出してしまうからです。

その4.第三者が目をつぶってもイメージできるくらい。

多くの施策を一つ一つ整理して、具体化したらそれを第三者に話してみましょう。全くではないにしても、そこまで理解していない人が行動のイメージできたらそれは素晴らしい計画です。

一方、相変わらず抽象的だったり、それっぽいもので進めた場合は、おそらくイメージはできません。人はイメージできるものは再現できます。初動から迷わず行動するために、このタイミングの計画は想像以上に重要なのです。理想は、所作までイメージできる状態です!

その5.ここまでできたらあとはやるだけ。

ここまで来たら、あとはタスクに落とすだけです。

相当数のタスクが出来上がったと思います。最後に決めておきたいのはこれらの中でなにが一番効果的と思われるかです。あれこれ出来れば問題ないですが、多分リソースは限られていると思いますので、優先順位を決めましょう。その際に感覚でも良いので、なにが効果的だと思えるか。それらを決めてアクションリストを作りましょう。

施策実行のコツは、効果が高いと思われることからやることです。アクションリストができれば、あとはやるだけです。

未来なんかわかるわけないだろ!と思う気持ちはわかります。しかし繰り返しますが、経験することがその先を見通すことだとするなら、如何に早く経験するかが未来を切り開く鍵となるのです。
漠然としたものを明らかにする作業が、計画を立てることです。
旅行なら行き当たりバッタリも楽しいですが、事業計画はそうはいきません。計画を立てる当事者は船頭である管理者の仕事ですから、多くの人を率いる旅路をより良いものにするためにも、この生みの苦しみを楽しみましょう!
せっかくやるならです!!

まだまだコツはあるので、評判が良ければ書きたいと思います!

ということで、今回は以上です。

「高卒が良いよ」と聞いて考えたこと。

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やり抜く力は少ない選択肢からも生まれる

先日ある知人から聞いた話がきっかけなのですが、今回は選択肢の数と成長について書いてみたいと思います。

その知人の会社では、高卒の学生も積極的に採用しているらしく、僕が「どこも採用難ですからね」と言うと、そういった理由から高卒の学生を採用しているわけでは無い、ということでした。

その理由は「選択肢(不可抗力を含め)が少ない中での彼らのパフォーマンスは、想像以上に高い」ということでした。なるほど、かくいう私も高卒で、自己肯定をしているわけではないですが、振り返れば他の選択肢を考える余裕は確かに無かったです。

そんな話を別の経営者にしたら、「実はうちも高卒の学生を積極的に採用してますよ」と、立て続けにびっくりな話が出てきました。この話が気になって、もっと聞いていくと、当たり前ではありますが、いくつか条件がありました。

  • 学業や部活で一定の成績を上げている(結果)
  • 取り組んだことを投げ出さずにやりきる(部活やバイトなど)
  • 素直である

なるほど、と思いました。世にいう「学歴じゃないよね」というのは、こういった普遍的な力を持っていることなんだなと。十把ひとからげでは無いんだな、と再認識しました。

そして、ふと思い出したことがあります。子供の頃、一つのゲームしか持っていない友人は、信じられないくらいそのゲームが上手でした。その彼にとって、そのゲームはかけがえのないものであり、磨き続ける対象だったんですね。

一方で、たくさんのゲームを持っているけど、一緒にプレイするとものすごく下手な友人もいました。それこそ相手にされなくなるくらいの下手さです。そのゲームが下手な彼にとっては、そのゲームは数多く持っているうちの一つであり、そのゲーム自体に大した意味を持つことはないんですね。

これは、ゲームを一つしか持ってない友人はそのゲームに力を込めやすく、数多くのゲームを持ってる友人は、豊富な選択肢があることによって力が入りきらない、ということなんだなと。

領域を狭め、集中して取り組む

先ほどの話に戻りますが、実際には高卒だからという理由ではなく、領域を狭め、集中して取り組むことによって、累乗の効果が生まれている、ということです。

逆に多くのことに対しまんべんなく取り組むと、その効果は得にくい。選択肢がない(不可抗力を含め)ということが、時には力を込めやすい状況を生むのではないでしょうか。それらは何も変わったことを言っているのではなく、非常に正しく、当たり前の心理と感じました。

この逆の状態を、先ほどの条件に当てはめて考えてみると、

  • 中途半端な成績(結果)
  • 色々手を出してすぐに投げ出してしまう
  • 素直じゃない

すぐに「一緒に仕事をしたいと思える人じゃない」とわかりますね、これも当たり前の話ですが(笑)

ここまでの話は、”グリット(GRIT)”の考えに通じるものでもあります。

リンク先に詳しいですが、簡単に言えば「やり抜く力」です。

「石の上にも3年」とはよく言ったものです。これは今の時代にはちょっと古臭い考えのように聞こえますが、その場に居続けることや、累乗の効果のあるものが何なのかを考え、経験を積み重ねていくこと(ないしはそれに準ずる力を有すること)はとても大事だなと思います。

なので、選択肢が少なければ、まずは単純だとしても、決めたことを徹底する。いわゆる凡事徹底が大事です。多くの選択肢を持っている人ならば、それらの選択肢に共通するものを見極めて、その一点(専門性や特技)を貫く、そういったことが成長に近づくことだと思います。

僕は経営する側として、もっとパーソナルな部分に踏み込んで、一緒に働く人と出会いたいと考えています。冒頭にお話しした2社における、高卒まで採用対象を広げた採用活動は、素晴らしい個人を見つける方法ですね。僕らも今のやり方では全ては見つけられないけど、前述した2社のようにもっと視野を広げて多くの可能性にかけてみたいと思えた、そんな一件でした。

ではまた!

なんとなく過ごした日々は一週間前のランチに等しい

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一週間前に食べたランチを覚えてますか?

先日2017年新卒の内定式がありまして、その際に内定者と社員に向けてこんな話をしました。

「なんとなく働き、なんとなく過ごした日々は一週間前のランチに等しい」

これは、当たり前のことは最近のことでも記憶に残らない、という例えです。一方でだいぶ昔のことでも昨日のように記憶している出来事もあります。

みなさんは一週間前に食べたランチって覚えていますか?多分覚えていないのではないでしょうか。

学校を例に考えてみます。単位としての1年に意味はなく、小学校、中学校、高校、大学と、その等しく与えられた時間の中で、思い出深く記憶に残ることとそうではないことの違いはなんだったのでしょうか?

思い出深い出来ごとは、私たちになんらかの意味を伝えています。そして私たちのアイデンティティに影響してきます。それを「点」とするなら、点の数が多ければ多いほど、深みも幅も出てきます。
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点に意味をもたらそう、と。
その意味は何に影響するのか、と。

それは、アイデンティティに影響を与えることだと僕は思います。

そしてそれは経験が大いに関係しています。自分とは何か?を考えたときに、思考のベース(癖)には経験が大いに影響を与えているはずです(無意識に)。

哲学的には”生得観念(せいとくかんねん)”といいますが。観念(対象に対して抱く意識)は経験によって得られる。だとするなら、経験として残るような働き方を増やすことが、多くの物事の理解を増やし、そのひとの人生が豊かになる、というのが僕の主張です。

少し無理めなものがちょうど良い

当たり前ですが、感情が動いたことの方が記憶に新しく感じますよね。なので、感情が揺さぶられる仕事をするか、そのように行動するのが良さそうです。

例えば、それは少し無理めなものであれば、そこに費やす時間や思考、行動の量が増えるため、喜びも悔しさも増やせる効果があります。マネージャーであれば、そういった設定をメンバーに課すことであり、メンバーであればタスクを自ら高く設定をしていく方法でしょう。

思いを込めてやる仕事。
全力でやる仕事。

だからこそ、その先に意味が生まれる。

「なんとなく働き、なんとなく過ごした日々は一週間前のランチに等しい」

そんな毎日にならないようにしたいものです。

「すみません、、やりあっちゃいました。」と言われました。

配慮はすれど遠慮はしない

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先日、部下から「すみません、、やりあっちゃいました。」と、そんな声をかけられました。聞けば、計画を詰めていく過程で、チームメイトに遠慮なく多くを求め、結果として、お互いがヒートアップしたということでした。

僕はそれを聞き、「いいね~!」と返しました。なぜなら、何かの取り組みに対し、メンバー間での遠慮があると「結果が遠ざかる」からです。

そもそも人間関係において、物事全てがスムーズに進むことはないと思います。大なり小なり、期待と違う結果や回答が返ってきます。

それを無理やりスムーズにしていくと、ほとんどのことは当たりさわりのないやり取りになります。難しいことに取り組んでいくには、そのコミュニケーションだとちょっと無理があると思います。

仕事を上手に進める上で、相手に配慮をしてスマートにこなすということは、心がけとしては大事だと思います。ですが、突っ込みどころで突っ込まないなんていけません。そんな関係は良い結果を生まないから。

もっと、汗かき、べそかき、喜んだり、怒ったりすることって大事だと思うのです。

なので、僕は彼の行為には賛成でした。

失うものはなんなのか?

遠慮せずやり取りすることによって、失われるものはなんなのでしょうか?

  • 相手の体面?
  • 相手のやる気?
  • 自身の信頼?
  • 人間関係?

いえいえ。相手への尊重があれば、これらは気にする必要はありません(多分)。ただ、ここに書いていないもので確実に失われるものがあります。

それは「結果」です。

当たりさわりのないやり取りは、それ自体空気のようなもので、言葉は全く届いていない可能性が高い。そんなやり取りに果たして意味はあるのでしょうか。

もっと言えば、同じ目標を持って進んでいる仲間に対して、そんな態度は思いやりにかけた行為とすら思います。

分離して考えよう

なので、「人」と「仕事」は分離して考えましょう。これは仕事を上手に進めるための重要なコツです。

誰かのアイデアに意見を言うことは、その人の人格を否定することでは無いのです。意見や考えを互いに戦わせることは、結果的にアイデアをより良いものにしていく効果があります。

チームで仕事をする以上は、この点を必ず理解すべきです。

何のために自分たちは集まっているのか?そもそもの意味に立ち返り、目的達成のためにどうすべきかを議論する。一人一人の仕事の集積が事業の結果です。チームで仕事をしている以上、チームメンバーの仕事に意見することに遠慮などはいらないはずです。

繰り返しですが、意見の否定は人格の否定ではありません。本当にチームで良い仕事をしたいと思うのなら、言うべきは言い、時にはやりあうくらいが丁度良いと思います。

冒頭の部下の話に戻りますが、彼はそんなスタンスで仕事をしているように見えます。

自分よりも、チームや事業の目標にとって何が大事なのか?そこに純粋に向き合う姿はまさにプロであり、部下といえど純粋に尊敬できる、そんな出来事でした。

頭にあることを言語化することがどれだけ大事か。

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使い勝手の良い言葉は迷いを生むだけ

僕が最近特に気をつけていること、それは”曖昧にしないこと”です。

心像(しんぞう)という言葉をご存知でしょうか?過去の経験などから、心に浮かぶ姿のことなのですが、これって結構厄介です。

例えば、

  • マック

この2つを読んで、あなたの心に浮かんだ像はどんなものでしょうか?”車”には多くのメーカーや車種があります。”マック”では、おそらくパソコンかファストフードのどちらかが浮かんだのではないでしょうか。

つまり、ある程度の共通認識があるものでも、心像は違ってくるということです。

それが仕事上の指示だとなおさらで、曖昧な言葉を使っていくと、現場で必ず混乱が起きてしまいます。指示する側が、どれだけその心像の違いに理解があるのか。これはチームを機能させる意味でとても重要です。

使い勝手の良い言葉を並べてみます。

  • 常識的に考える。いいようにやる。いつも通りにやる。例の件。
  • なるべく早くやる。可能なら早くやる。
  • 参加できる人で始める。来れる人は来る。
  • あれは良い。この仕事は良かった。
  • 気持ちを察する。言わずもがな。

などなど。

これらはとても使い勝手の良い言葉たちです。そして、おおよそ想像がつけばそれで回ってしまうタチが悪く、心像を捉えるのが難しい言葉です。

阿吽の呼吸と曖昧は違う

これら曖昧な言葉を多用する背景には、僕らが日本人というのも大きく影響しているはずです。日本古来からある”阿吽の呼吸”、”以心伝心”、”みなまで言うな”など、つまりは「できる人」の一要素であり、察することは美徳であるので、どうしてもそれらを求められてしまいます。

そして、多かれ少なかれ経営者であれば、その阿吽の呼吸に理想を持っている人も多くいるはずで、ともすれば「チームとはこうあるべき」と考えてしまいがちです。

ちなみに僕はその急先鋒でした。

でもこれらの言葉って、百害あって一利無しなんですよね(少なくとも仕事の指示においては)。言語化すること、定量化することの重要性と有効性は、今となっては痛いほどわかります。

しかし、当時(それほど昔ではないですが。。)は、それらを言語化することは”メンバーの成長を阻害する行為”と勘違いしていました。考えればわかりそうなものを細かく条件指定することは”考える力を削ぐこと”になるのではと思っていたのです。加えて、「行間読めよ!」的なことも含めて。

ただ実際にはそんなことはなく、むしろ曖昧さを残すことは、どこに集中すべきかわからずに相手を迷わせてしまいます。

なので、今はなるべくこちらの期待を明確に伝えるようにしています。まず結論ありきで、シンプルにして、留意点などは補足として伝えています。

例えば、曖昧な指示が「来週の会議までになるべく早く資料を作っておいて」というようなものであれば、明確にするには、

「来週の会議にあたり、この資料を今週金曜の午後1時までに作り、直接私に説明してほしい。」

  • 最終期限は来週水曜の会議の時間だが、事前に確認をしたいのと、作りこみに必要な時間を考えてそうします
  • 詳細まで作りこむ前に、まずは一番大事な骨子をまとめてください
  • その点がお互い確認できれば、あとは自由にしてOKです

というようなものにします。

そして、ここで気をつけたいのは”箸の上げ下げまで言及しないこと”です。一つ一つの細かすぎる指示は、やる気も思考力も削いでしまうし、本人の成長の機会も逸してしまうからです。

期待を伝えたら本人に考えさせるのが良いと学び、今はそれを実践しています。なので、心像となる部分をできるだけ明確にするように心がけています。

わかっているが、なかなかできない

なぜそうだったのか?を考えてみました。
・言語化することを考えきれていない
・面倒くさがっている(多分)
・依頼する側にもまだ明確なイメージがない(なら振るな!と言わないで…)
・言わずもがな(やっぱりこれが一番迷惑!)

時にはリーダーが答えを持ち合わせているわけではなく、はっきりしないこともあります。でも、その場合はそれを伝えればいいだけの事なので、イメージがあるのか無いのかくらいは伝えておくことが必要です。もっと言えば、協力を仰いでも良いかもしれません。「ここまでやってほしい。その結果を見て次を判断したい。今は材料が足りないから。」場合によってはそれで十分だと思います。

良くないのは曖昧な状態にすることなのです。

そして、変えてみてどうだったか?

驚くくらいの効果が出ています。迷わず動けるし、結果も違う。すると成果も出るのでお互いに尊敬の念も生まれます。嬉しいことばかりです。

面倒くさがらず、できるものは言語化していきたい。それがメンバーが最短距離で走れるものになるはずです。

偉そうに書きましたが、個人的な癖でやってしまうこともあるので、戒めも込めて書いてみました。
もう、曖昧にしません!

僕は本当に変わったのか。

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なぜ僕は叱ってばかりだったのか

最近「叱らなくなった」と言われます。
周囲からも「変わった」と。。(大丈夫なのか?老いたのか?と心配もされるくらいw)

では、果たして僕は変わったのでしょうか?
そして、なぜ僕は叱ってばかりいたのか?

今回のその思考を分解してみました。

まず、そもそも僕は叱りたかったのか?ですが、結論を言えば、そんなことはありません。

ではなぜか?

  1. 好きだから
  2. それしか方法を知らなかった

答えは2。

そう、叱りたいのでは無く、思いを伝える方法をそれしか知らなかったのです。

その時の思考プロセスはこんな感じです。

  1. 期待がある
  2. それを察して欲しい
  3. その期待が満たされない
  4. 我慢する
  5. 1~4を繰り返す
  6. 我慢の限界を迎える(フガー!)

厄介なのは、勝手に我慢していたのだと思っている点ですね。周囲からすると態度が豹変したと見えるし、戦慄が走る!

書いてしまうと、恥ずかしい限りですが、ここでややこしくしているポイントは2ですね。1は立場として持つべきもの、2は個人の思いです。つまり、役割の分離ができていない状態です。

改善すべき点は、当然2なので、最近は努めて期待を言語化しています。早めに、小出しに、場合によってはものすごく具体的に。

僕の本質は何も変わっていない

期待していることは当時よりもどんどん大きくなっていってます。
 
冒頭の話に戻りますが、おそらく僕(自分の性質)は何も変わっていないと思います。しかし、行動は変わりました。それにより得る感情も変わりました。

そして、周囲は変わったと感じるようになったのです。

行動を変えるだけで結果も、評価も変わる。
無理に自分を変えにいくのでは無く、方法を変えることで様々なものが変わる。

そんなこともあるんですね。